無意識を意識。

電車に乗るということが、あんなに勇気のいるものだったなんて。

目覚めて、カーテンを開け、顔を洗う。やかんで生薬を煎じて、待っている間に血圧をはかり、「良薬はまずいなぁ」と思いながら感冒薬を飲む。食事をこしらえ、かみしめ、コーヒーを味わう。歯を磨き、パジャマを脱いでシャワーを浴び、体を拭いて髪を乾かし、身じたくをととのえて、靴をはく。戸締まりをして、階段をおり、駅まで歩いて、電車に乗りこみ、乗り換え、目的地までさらに歩いていく…日々の、ありふれた行為のひとつひとつが、こんなにも身にこたえるなんて。

さらに、まちなかは危険でいっぱいだ。走りまわる子どもたち、ふざけあう小中学生(男子)の集団がこわい。急ぐ人のために左側をあけるエスカレーターも緊張の連続だし、とにかくだれもぶつかってきませんように、と祈りながら(気持ちは)先を急いだ。

思考も、飛びこんでくる情報も以前とはまったく変わり、大事なもの、本当に必要なものとそうでないものがいっそうクリアになった。もちろん、すべては「わたしにとって」という前提だ。すきなもの、心地よいものばかりがそばにあればいい。

外界はこわいけど、今までの人生でいちばん、心の湖はしんと澄んでいる。前のめりで突き進みたいと願いつつ、この上質な孤独感は大好物だ。両立できたらいいのになぁ。