「人」スイッチ。

いわゆる「場」をつくりたいわけではない。ごう慢かもしれないけれど、わたしの行く先々が作戦会議室になったらいいなと思っており、その場合は「だれと」が重要だとも考えている。

すべては「人」である。この冬、ある人物のインタビューを通して、その想いが深まった。自分もふくめた人のふるまいの源泉は感情で、見えない心の機微をとらえたいと願ってきた。感情は、そのまま表現してはいけないもののように語られているけれど、よくないのは負の感情を爆発させて感情的にふるまうこと。感情と感情的であることは別もので、中でも、喜びはそのまま爆発させて拡散すれば世界が平和になるかもしれないと思う。

何かしらの理由があって、行動する。その、行動に移す瞬間の決め手、きっかけ、感情の揺れに関心がある。つねに自分を実験台に、なぜそう思ったのか、そうしたのか、しないのか…などを掘りさげようと試みている。最終的には、すきだから、そうしたいから、というシンプルな衝動に勝るものがないというのが現在の結論である。理屈をしたがえるのは感情なのだ(わたしの場合)。

すべては「人」である、という前提でハコや拠点としての「場」があれば都合がいい。安全で、雨風をしのぐことができ、暑さや寒さに耐えられる空間に、あたたかい食べものがあれば言うことはない。