はみ出す。

年のはじめに、これからは神戸に限らず、兵庫県の仕事をして、さらに境界をはみ出していく、と決めた。

神戸市というエリアに限定していたつもりは毛頭ないし、市外の仕事が多いのだけど、神戸の人だというイメージがついているようで…うれしいなぁと思う反面、なんだかきゅうくつだなと感じるようになっていた。

神戸がすきである。でも、神戸だけではない、とも思う。大阪や京都、奈良に縁のある人たちがそれぞれのまちをすきだと述べるとき、エリアの名前と都道府県名と同一であるせいか、広くて深い領域を指しているように感じる一方、神戸の場合は、小さな部分を指しているように思えてならなくなった。神戸がすき、とは言うけれど、兵庫がすき、とはなかなか聞かないのを不思議に思う。風土、歴史や文化、人々のいとなみに至るまで、知れば知るほど知らない宝物にどんどん出会える、すばらしい地域であるにも関わらず。

かくいうわたしも、だれかについて思うとき、どこどこの人ねと頭に浮かべてしまうことがある。生まれは西宮、7歳から神戸で育ち、離婚して3年ほど大阪に移り住んだほかは神戸に軸足を置いて暮らしてきたから、港町のイメージがついてまわるのは、ある種の勲章なのかもしれないなぁとも思う。単なる自意識過剰、自画自賛かもしれないけれど。

イメージというのはありがたくて、やっかいだ。体力や精神力のピークをふくめて何らかの限界がいつか訪れることを意識するようになってから、自力で避けることのできる限界は取り除いておきたい、と考えるようになった。軸足を別の座標に移すのは、冒険だ。気持ちの芯の部分はいつでも神戸につながっている、という事実を再確認する旅にもなるだろう。

テキストのボリュームの上限を、かたくなに守っていたのだけれど。今回初めて、超えてしまった。あぁ、そうか。やっぱりわたしは「はみ出す」のがすきなのだ。環境や器によって姿を変える水のようでありたい、と願うのも。