緑の荒野。

この界わいでの、最後の散歩。公園や街路樹、神社、幹線沿いの風景に感謝を伝えて歩く。

きのう、ここに来ても特に何も起こらなかったと書いた。それは「このエリアでしかできないこと、この地で暮らす人々と共につくりあげる何か」に関わることができなかった、というひとつの側面を指してのこと。わたしにとっては、すばらしい友人に囲まれて、これまでの人生で最も充実した、目まぐるしくも楽しい2年半だったと思う。長く生きたいと思ったことはなかったけれど、死をも覚悟するできごとがあって、まだまだやりたいことがある、今はまだ死ねないなぁと奮い立った、記念の地にもなった。

弟がやって来て「このあたりの景色、静けさも気に入ってたんやけど」と残念そう。知らなかった、それはまことに申し訳ない、だれかにも落ち着きがないって言われたなぁ。

心おだやかにすごせる日常こそ、奇跡。だから、したいことや今しかできないことをするために、動けるうちに挑みたい。

ここだけの話だけれど、いくつもの野望のうち、長い間あたためていることを成し遂げるには「神戸に恋い焦がれる」軌跡が必須。地元への憧憬や渇望感、異文化への好奇心(比較対象)、拡張し続ける人とのつながりや可能性、そして圧倒的な孤独がインスピレーションを与えてくれる…に違いないのだ。わたしの直感が正しければね。

神戸まで、電車で1時間もかからない。甘い選択なのかもしれないけれど「このまち、おもしろそう」という感想が「住んでみよう」と転じた過程に、何かある。まったくの異国では得られない何かがある、と判断した自分の鼻を信じてみたい。荒れ地ではなく、緑の荒野へ。