頭のスイッチ。

そういえば、いつのころからか、「切り替える」ことをしなくなった。昔どうだったか、は思い出せない。頭も気持ちも、特に切り替えようと意識せずとも、次のことに取りかかることができるという事実があるのみである。

ストレスを発散させる行為も要らず、必要なら何時間でもパソコンに向かったり、議論を重ねることができる。思考が煮詰まったら、頭を無にして歩き出す。散歩って気持ちいいなぁ、なんてことを思っているうち、または中座してトイレに行くと、たいていの場合、いいことを思いつく。あぁ、これは「切り替える」ってことに相当するかな。

ひとつのことをやりながら、別のことを考えて、ひらめきを得る。わたしにとっては、ごくごく普通のことである。もちろん、案件が重なりすぎるとわけがわからなくなるけれど、あれもこれも手がけている時ほど頭の回転はよい気がする。連続してスイッチが切り替わっているから、切り替わっていると認識していないのかもしれない。

先日、ある人と「本音で語るひととき」を奈良で持った。わかったのは、わざわざそうやって宣言しなくても、お互いに常に本音だったということ。その時、わたしの原動力は刺激であると判明した。慣れや反復、ルーティーンが非常に苦手。だからって、独創的ってわけでもないけれど。単なる飽き性なのかもしれない。