2016年をふりかえる。

大晦日、今年をていねいにふりかえるつもりが、ほんの1年以内のことがすっと思い出せない。日記を読み返しても、実にさまざまな事柄が昔のことのようであり、人ごとみたいに思えてならない。また生まれ変わってしまったのかも。

新天地の姫路~播磨エリアはもちろん、淡路島や奈良、奄美大島…といろんな場所に赴いて新しい経験をさせてもらい、数多くのすてきなご縁に恵まれた。地域コーディネーターという使命を帯びて(9ヵ月という期間限定ながらも)大学の地域連携センター/地域創造機構へ週3日程度通うようになった。話を聞いてまとめて(わたしが)書くのではなく、対話を重ねて共に考え、自身で言葉にしてもらう取り組みが増えた。だれもが、自分の伝えたいことを、伝えたい相手に、自分の言葉で伝えられる世の中になったらいいなと今まで以上に願うようにもなった。姫路では、ゆかた、着物、茶道など日本の文化に触れる機会が増える…など、望む以上の刺激があったうえ、前ばかり見ている性分だから、記憶の表層においては薄れたものが多々ありそうだ。薄情だなと反省しつつ。

人は、簡単にはわかりあえない。そう思い知った9歳の時点では絶望するしかなかったけれど、あの強烈な体感があったから、今日のわたしが存在する。

言葉はすべてではないし、絶対でもない。人は、わかりあえないからこそ工夫する。言葉を通した意思や感情、思考のやりとり、知識や情報の伝達など…他者や自分とのコミュニケーションにとどまらず、その先にあるナニカをつかみたいという衝動。理解、共感を経て心が動き、人が行動するその瞬間に何よりも惹かれることを再確認しながら年を越す。