言葉の森。

ひさしぶりに閉じこもる時間があった。きのうは日曜、電話もかかってこないため、朝から晩まで原稿を書いていた。飽き性のわたしにしてはめずらしく毎日かかさず計測している万歩計のカウンターはゼロだったし、いくつかの締め切りに追われて崖っぷちに立っていたけれど、しあわせだった。やはり、書くことがすきなのだ。

なのに。書くことが最終的な表現手段、という仕事をしていながら、言葉と向き合うひとときを存分に確保できない日々が続いていた。そろそろやばい、と思っていた。小爆発が起きるか、締め切りを落としてしまうか、パタリと寝込むか、どうなってもおかしくなかった。なにより、心の静寂を欲していた。言葉の森へ出かけたかった。

時間がない、というのは理由にならない。本当にしたいことならすでにしているはずであり、読みたい本の山が標高を増していく様を止められない自分がつまらなかった。その時々に必要な知識を得るための資料としての書籍なら、仕事の依頼が舞いこむたびにさまざまなジャンルのものを読んでいるし、たとえば8時間くらいの、まとまった時間がとれないだけで原稿を提出できていないわけでもないから、充実しているのはまちがいない。ただ、1日があっという間で、パタパタとせわしない状態がエレガントではないなと思うのだ。ぜいたくなのかな。

話に耳をかたむけて、議論を重ねていくことに重きをおいている一方で、とびきりの孤独を愛している。バイブルのひとつは『孤独の愉しみ方―森の生活者ソローの叡智』。暑くもなく寒くもない、からりと乾いた静かな森の、湖のほとりで暮らせたらすてきだろうな。イメージは北欧の森、わたしだって時々は、ロマンチックに変身できる。