世界の窓。

読み書きができるようになったのは、たぶん遅かった。はっきり覚えていないけど、5歳の誕生日をすぎても、ひらがなを読めなかったのではないかなと。

オーディオマニアだった父が何本ものカセットテープ(磁気テープをプラスチックケースにおさめた、オーディオ用メディア)に記録してある幼い自分の声を聞いた時、童謡を歌いまくり、絵本をすらすら読んで…いるような錯覚を覚えた。

元合唱部で、いまでも歌うことがすきな母。「読んでごらん」と、お願いなのか命令なのかわからないわたしのカタコトに応じ、お気に入りの絵本を何度も読んでくれた父と母。わたしは聴覚を通して歌や物語にふれて、口から発することで再び自分の中に取り入れていたらしい。

大人になってから、英語、中国語、タイ語に挑戦してみたことがある。「Repeat after me」がうまくできず、あなたは耳がよくない、聞き取るチカラが弱いのでは…とある先生から指摘された。耳で得た情報(声調など)をそのまま再現するチカラも弱いようだと。その時は、そうなのかとしおれてしまい、克服するぞという気持ちになれずじまい。外国の文字を読んでみたい、という気持ちも萎えてしまった。

そういえば、ある人から「君は、視覚型の人間だね」と言われたことがある。人によって、五感の使い方や得意とすることに偏りがあるのは自然なことだと。

これはわかりやすかった。外界との接点が耳だった時を経て、視覚を通して世界につながっていたのだ。あたりまえのようだけど、開け放たれた窓の在り方は人それぞれなのである。