ラブレター。

日々のかけら、なのにかたい。何を記そうか、思案しているからかもしれない。書きたいことを書けばいいと人様には伝えていながら…自分のこととなると、猛烈にだめっぷりを発揮する。

書く、といえば。小学生のころは交換日記、中学時代は試験の問題用紙の裏面にまで、毎日せっせと手紙を書いていた。どんなことを書いていたのか、希望や不安、悩みがてんこ盛りだったのか、記憶をたどろうとしたけれど、見事に思い出せない。だれかにあてて書いていながら自分自身に語っていたような…なんだか、ふとそんな気がした。

書くものはすべて、ラブレター。例外もあるけれど、芯のところは揺るがない。

コピーライターになるまで、なってからも影響を受けたデザイナーさんから「広告はラブレターだ」と教わった。「広く伝えるためのものだけど、対象をしぼって、ただ1人のだれかに届けるためにデザインしている」のだと。しぼりこむことで世界が広がるのは、言葉も同じ。男女の愛をささやくものだけがラブレターだとは思わない。ただ1人の「あなた」への思いやり、真の気持ちを届けたいという姿勢そのものが愛なのではないかなぁと思うのだ。語る言葉、ふだんの言葉も、できることならそうありたいし。

すると、嫌いな相手にも?という疑問が立ち上がる。わたしは万人を愛せないし、自分に正直であることやイヤだと感じた事実が重要なので、ラブレターとして書かない道を選択している。すべてじゃないじゃん、ヒドイ人ねと言われようともイヤなものはイヤなのだ。絶対なんて、この世にないしね。自分に甘いと思わるかな…まぁ、いっか。