居場所は人だ。

自分の居場所というものは、あるようでないと思っている。他人がつくる場やきっかけなど、外側の世界に期待するから落胆も大きい。視野のせまい自分の周囲には見あたらないからと海外をめざしたり、場所をわざわざつくる、というのも実はあまりピンと来ない。もちろん、好きにすればいいわけだけど、ボタンをかけ違えているようで胸がざわつく。

居場所はあちこちにある、とも思う。わが家でも、友人のオフィスやお店、大切なだれかのそばでもいい。そこに行けばあの人に会える、他者の存在を通して自己を確認できる、ナニカが生まれる…時には泣きたくなるほど「あたたかいどこか」。その中心では圧倒的な魅力を放つ人物が笑みを絶やさず、過去でありながら未来の風景でもある。

人は、人に集う。会いたい人に会えるどこかが居場所なら、その対象が増えるほど居場所も増えていく。今、あなたが求めているのは場所ではなくて「たまらなく会いに行きたいだれか」なんじゃないかなと。強くて深い、磁力のある人。

居てもいいし居なくてもいい、いつ旅立ってもいいし帰ってきてもいい、どこにでもあってここにしかない「あたたかいどこか」。ささやかな日常に居場所を見いだした時、人はこれからを照らすランタンを手に入れる。なんて言いつつ、わたしがそう思えるようになったのは、年齢を重ねてからのこと。居場所を探す人が後を絶たないのも、ごく自然な流れなのだろう。

今またひとつ、野望が増えた。強い磁力はないにせよ、居場所を求める旅人に一瞬でも安らぎを贈りたい。たとえば朝のわずかな時間でも、こうしてわたしの書いたものがだれかの居場所になったらいいなぁと。居場所は人だと言っておきながら。