自分の表現。

言葉(というもの)を信じている。

一方で、言葉がすべてではない、とも思う。想いや思考を言葉にしようとすればするほど、伝えたいことから遠ざかる。もっと的確に表現したい、ともがくたびに深みや重みがはがれ落ちていくのをせつなく見つめることがある。

けれども、言葉をあつかう身としては、そこで簡単にあきらめてしまうと話にならない。何かちがう、他に適切な表現があるはずだともがきながら、言葉の森を探索し続ける。森の奥には湖があって、空の青と森の緑が澄んだ水面を染めている。中心部に近づけば近づくほど風景はシンプルになっていき、最終的には余白と静寂で満たされる。

人のそれと比べたことはないけれど、わたしに与えられた言葉の森は、おそらく、非常にナチュラルだ。わたしがごきげんで生きるためには、ひとりですごす時間や静けさが必要…だと感じているからなのか、歩を進めれば進めるほど、視線の先はシンプルになっていく。

日々、粛々と思考し続けて、自分の言葉で語ることができ、実行している人は輝いている。また、言葉というものは、うまい下手ではないなとあらためて思う。その人の知識や経験、感覚をもとに芯のところから生まれた言葉は、見た目がどんなにデリケートであっても多少のことでは揺るがない。伝えたいこと自体に強度があれば、小手先のテクニックなんて必要ないのだ。むきだしの想いほど、胸に染みいるものはないと思う。

借りてきた言葉や表現は、やはり人のもの。外からよりも、わたしは内から、自分の力で見つけていきたい。