わかれぎわ。

その人の本質は、わかれぎわに表れる。

主に高校にあがるまでの体験から、自分は人からすかれない…と徹底的に胸に刻んだ。その後、当時はネガティブな気持ちを抱いていたのかもしれないけれど、いつしか、人に期待しないようになった。

期待しないということは、ただただそこに居て、見返りを求めない状態である。

執着を好まず、「すきなようにすればいい」と常日ごろから思っているために、ドライだとかクールだと思われがちだけど。その人が望むようにふるまえばいい、思うとおりに生きていけばいいと思っており、みんなが幸せなら、それが何よりのよろこびだ、という人生である。

人は、わかれる生きものである。

出会った数だけわかれがある、と言った人もいる。何が何でも去り際は美しくありたい、と思うのはわたしが見栄っ張りだからなのかなぁ。どこまで耐えられるか、耐えられないか、すべては美意識に関わる問題なのかも。

去る者を追わず、新しい人生のはじまりを祝って、純粋にその人のしあわせを願うひととき。

男女関係が終わる時だけでなく、師弟関係の変化や、組織や集まりを卒業する際は、いろいろ思うところがあったとしてもさわやかに、笑顔で、感謝しながらわかれたい…なんてことを、ある人が書いたものを見て、思った。

その人のしあわせを、心から願えるかどうか。そこに、人としての姿勢や思考、本気度や透明度、うつわの大きさが凝縮されているような気がする。