感情の生きもの。

わたしは感情で生きている、と自分では思っている。

主観より客観性、細部よりわずかに全体性を重視する方だと認識しながらも、わたしを生かし、動かしている原動力はまぎれもなく感情である。

とはい、感情的ではない…つもりである。理性をうしない、おのれの感情をむきだしにして相手を攻撃する様は、何より醜いとわたしは思う。なのにもし、感情的な状態が標準仕様なのだとしたら、忌み嫌っているはずの醜態をさらしていることになる。あぁ、そこまで間抜けなことにはなっていませんようにと願う。

わたしの感情表現は、わかりやすいらしい。思っていることがそのまま顔に出ているそうで、おいしいとか快適だとか、感覚的なことにまで過敏に反応してしまう。理想は、体温や湿度は低め安定、ごきげん&クールな状態をキープし続けること。年中、秋か春先の気候が続く地の、白樺の森にある湖のほとりで読書と物書き三昧…なんていう暮らしが実現したら、最高にしあわせなんだろうなと遠い目になる。

そういえば喜怒哀楽のうち、怒りと哀しみを表現するのが苦手である。かっこわるい姿、美しくないふるまいを見られるなんて耐えられない。特に人前で泣くことは御法度で、抑制スイッチが自動的に作動する。一方で、映画やドラマの泣かせどころでは百発百中、大泣きしてしまうのだけど…まったく信じてもらえないのは、日ごろのおこないのせいかしら。

昔、むきたてのゆで卵みたいだと言われたことがある。あまりにも無防備で、傷つきやすく、生きづらいでしょうねと心配された。あれからずいぶんたった今、人並みにたくましくなっただろうか。