ねばねば。

伝わる言葉の講座では、3つの「ねば」をわすれましょう、捨て去りましょう、と冒頭でお話ししている。正しく書かねば。(失礼のないよう)ていねいに書かねば。上手く書かねば。さらにもうひとつ、スペース(原稿用紙)を埋めねば…という「ねば」もある。

ご職業はと聞かれて、コピーライターですと述べると多くの場合、「書く仕事ですか、すごいですね」というフレーズの後に「僕は国語がダメで、今も文章を書くのが苦手なんです。上手く書くコツ、教えてください」と苦笑いがついていくる。あぁここにも、とせつない気持ちになるけれど、上手く書けるコツがあるならわたしが教えてほしいくらいなので、期待にこたえることができず、もんもんとしている。上手いってなんだろう、と考え込んでしまうこともあって。

日本は江戸時代から、世界的に見ても識字率(文字を読み書きして理解できること)が高かったらしい、と聞いたことがある。もちろん例外はあるにせよ、義務教育ではない寺子屋などでの手習いが庶民にも浸透していたというのだから、すばらしい。

言葉は、人と人とをつなぐ。テレパシーが使えない人類にとって、コミュニケーションの基本である。ひるがえって、「ねば」は呪いのようなもの。実はそれほどの強制力はないのかもしれないけれど、わたしたちが自ら縛られ続けているのはなぜなのか。解放の呪文、あるならぜひとも教えてほしい。