歩行禅。

昔から、なんとなく禅に興味があった。けれど実際に禅の道に入ったことはなく、なぜ惹かれるのかもよくわからない。小学生のころに通っていた剣道の稽古の前後におこなわれる「黙想」の、あの静謐な時間がすきだった…せいかもしれない。

正座して、親指を合わせて手を組み、半眼で1mほど前を見る。鼻から息を吸って口から吐いて、呼吸をととのえ、頭を無にすること数分間。稽古中はバシバシ叩かれるから半泣きだったけど、黙想をするたびにすがすがしい気持ちになった。

なのに、わたしは禅の道に進んでいないし、坐禅を組む習慣もない。自分はなまけものなのかと考えることもあったけど、近ごろ「歩行禅」という言葉に出会って、なるほどと思った。

わたしはふだん、よく歩く。とにかく歩くことを推奨する母の影響で、てくてく歩きながら考えることが普通である。だから無意識のうちに、「歩行禅」を実戦していたのではないかなと。自己流なので、本当かどうかはわからないものの。

歩くと頭がからっぽになって、何ブロック分もの記憶が飛んでいることもある。頭を無にして歩いていると、いろんなアイデアが浮かんだり、ちらかった情報や知識が整理されていく。だから月並みかもしれないけれど朝の散歩に、「歩行禅」はおすすめである。