日記とは、なんのために書くものなのか。誰のためのものなのか。それをずっと考えていた。この数年は特に、自分が書くものに価値なんてない、誰も興味を持たないと思っていた。
一転したのは、四国村で開催されている猪熊弦一郎展で、いのくまさんが毎日描いていたというスケッチを見た時。
なんのためだとか誰のためのものだとか、価値があるとかないとかいう思考を介したものではないと思った。描きたくて描いているとか、描きたいという意識も超えた、描かずにはいられないもの。息をするように手が動いた、そういうものではないかと思った。
私は、人のために書きたいと思っていた。言葉で人を救いたいと。救えると思っていたのだ。その時の衝動や思考回路は思い出せないけれど、そう思っていたという事実があり、身の程知らず過ぎて言葉にならない。
折にふれて、いのくまさんのスケッチを思い出したい。言葉のない日記。